経歴
Deutsch|日本語
ベア—テ・ヴォンデ(ヴェ—バ—)
1954年 ブランデンブルク州グーベンに生まれる。(丑年)
1973年 ヴィルヘルム・ピーク・シュタットグーベン高等学校を卒業する。
1973〜78年 ベルリン・フンボルト大学アジア学部日本学科に入学する。
英語・日本語通訳養成課程専攻
ユルゲン・ベルント教授、齋藤瑛子氏に師事する。
1975〜91年 大学2回生から1991年頃にかけて文化や報道に関する多数の通訳業務をこなす。東山魁夷、市川猿之助、市川団十郎、坂東玉三郎、観世能、ジャーナリスト、レコード会社、各種会議、演奏会、その他企業に同行し、通訳として活動する。
通訳実務多数(文化・報道)
1976年 地域文化研究課程に移籍し、日本文化及び演劇を専門に研究を重ねる。
1979年〜現在 息子1人(1975)、娘2人(1982,1986)
1978年 ベルリン・フンボルト大学アジア学部日本学科において日本学のディプロムを取得し、卒業する。(ディプロムは日本の修士に相当)
『日本におけるプロレタリア演劇の動向について』をテーマにした卒業論文を提出する。
1978〜81年 研究生として安井栄一氏と共同で同大学日本学科1回生と4回生の通訳授業を担当する。
1979〜81年 日本文部省奨学生として早稲田大学留学
ディプロム過程に引き続き日本の演劇を研究する。『村山知義及び日本のプロレタリア演劇における新構造』を中心としたテーマに関する資料を収集する。
学業と並行して、ドイツプレス担当として千田是也(俳優座)の私設秘書となり、古典演劇や新劇、アングラ、舞踏などの劇団とも親しく付き合う。
1975〜89年 日本学科ならびに森鷗外記念館業務外で通訳としても活動:東山魁夷, 市川猿之助, 市川団十朗, 板東玉三郎, 観世能、新聞記者、レコード会社、会議、客演演奏会、エージェント
1981〜87年 フンボルト大学日本学科において助手として勤務する。この期間に2人の子どもをもうけ、3人の子どもの母となる。82〜83年と86年〜87年に産休を取る。産休中には、ベルリン芸術アカデミー依頼の翻訳業務を行ったり、日本演劇について講演したり、精力的に活動する。
1984年 ベルリン・フンボルト大学付属森鷗外記念館創立と同時に唯一の常勤職員となり、現在にいたる。業務の一環として、学会誌「ジャパン・トゥデイ」の編集責任を務め、同誌の第6回ヨーロッパシンポジウムを東海大学デンマーク支部と共に企画する。また、「クラブ・デア・クルトゥアーシャッフェンデン」や「メーヴェ」において演劇公演や文化イベントを企画、運営する。
1985年 翻訳プロジェクト「あの日 — 広島、長崎の文学的証言」に携わる。同書はユルゲン・ベルント教授編纂でフォルク・ウント・ヴェルト社から出版される。
1986〜87年 産休中にベルリン・フンボルト大学付属森鷗外記念館の改装監督として臨時雇用される。
日本演劇についての公開講演多数、芸術院のための翻訳
日本の劇団、報道関係者、VEBドイツレコード商談の通訳業務
1987年 改装工事終了後、森鷗外記念館職員として再び勤務する。
1987〜90年 中曽根元総理大臣のドイツ訪問準備を指揮する。
同記念館の管理が東ドイツ人民友好同盟に渡り、この組織内の東ドイツ・日本局が森鷗外記念館のために用意したポストに就く。日本との交流を担当する。芸術家のインタビューを企画し、東ドイツ・日本文化協会の季刊会報誌や「悲劇喜劇」誌に寄稿する。また、年間行事の日本デーでは、各地域や劇場で講演を行う。
90年より職員としての勤務開始芸術家へのインタビュー及び、日本東ドイツ文化協会の季刊会報に寄稿「悲劇喜劇」に定期寄稿
1988年 最初にして最後の東ドイツ・日本の共同製作映画「舞姫」(篠田正浩監督)のためのドキュメンタリー番組の制作に関わる。同番組は「百年ロマンス・舞姫の謎黄金髪ゆらぎし少女に迫る鷗外幻想」としてテレビ朝日にて放映される。
1989年 これまで記念室に限られていた森鷗外記念館を拡張し、現在の姿となる。森鷗外の一生や作品に関する初の展示が実現する。フンボルト大学日本学科も同時期に記念館のある敷地に移転する。第2回目の開館式典の準備と開催に携わる。式典には鷗外の遺族や経済、文化団体の代表、森鷗外協会の代表が参加し、和やかな雰囲気の中執り行われる。
1990年〜 フンボルト大学正規職員として勤務を再開(前職の就労期間は認められず)日本東ドイツ文化協会と共同の論文コンテストを主催。20人を越える東ドイツの若者が日本へ渡航。
森鷗外記念館存続のための日本における寄附金キャンペーン
1990年 森鷗外記念館の管理がフンボルト大学に戻る。同時に、同大学の正規職員となるが、これまでの職務内容は認められず今にいたる。
東ドイツ・日本文化協会との共同企画で、論文コンテストを主催し、20人を越える東ドイツの若者が日本への渡航の機会を得る。
また、ベルリン森鷗外記念館の存続をかけて、日本で寄付金キャンペーンを行う。
1992/93年 記念館が存続の危機に陥る。この期間、大学は職員の給与や記念館の家賃の支払いをせず、過去2年間に支払われた経費も寄付金から払い戻す必要に迫られる。
1993年 森鷗外記念基金設立
森鷗外記念館の設立、運営に尽力したユルゲン・ベルント教授の急逝を受け、森鷗外記念館臨時館長及び森鷗外記念基金臨時代表に就任する。
天皇皇后両陛下のフンボルト大学ご訪問のために、本学舎において鷗外の展示を行う。また、両陛下のご訪問に際してはご案内を務める。
12月にロンドンにある夏目漱石記念館を訪れる。夏目漱石記念館はサミー・T・恒松氏によって個人的に運営されている。(2019年再オープン)
1994年 フンボルト大学が森鷗外記念館の経費を担うことで合意する。
1995年〜現在 フンボルト大学日本学科付属森鷗外記念館副館長兼広報・文化担当者のポストに就く。同記念館が発行する「クライネ・ライエ」シリーズの編集し、営業に携わる。
同時に、日独両国で文化、学術交流に関する出版文筆活動を行う。
1997年〜 日本森鷗外協会評議員に就任する。
1999年 明治大学に客員教授として招聘される。
2006年〜 旧姓ヴォンデを名乗る。
2007年 早稲田大学COE(Center of Excellenz)の2007年度研究協力者に選ばれる。
2010年〜 学術振興会JSPSの奨学金と小川眞里子氏の招待で三重大学に研究滞在する。日本滞在中には『舞姫 —文学と現実—』やオシップ・シュービン(別名:アロイジア・キルシュナー)について講演を行う。東京北里研究所や伊勢神宮のアーカイブでも研究活動をし、滋賀県甲賀市土山地区で「櫛」についての調査をする。さらに、三重大学大西教授のご案内で佐佐木信綱記念館や松尾芭蕉記念館にも足を運ぶ。三重県鈴鹿市においては揖斐弘行さんと親交を持ち、奥様も交えて鈴鹿墨展の企画に取り組む。
2010〜18年 ドイツ文学記念館協会の役員となり、会計監査を担当する。
2011年 東日本大震災後、フンボルト大学内で企画された様々なチャリティー活動に参加する。また、ドイツ国際演劇協会と共同で、東北で演劇に携わる人に宛てた復興支援募金活動を主導する。
6月に皇太子殿下がドイツを表敬訪問なさった際には、ご案内役を務める。
2013年 フンボルト大学日本学科が統廃合されたことをきっかけに、これまでの業務に加えてキュレーターとしての業務を担う。
2017年 これまでに集めた資料や写真を使い森鷗外記念館の常設展を一新する。同プロジェクトに寄せられた寄付に対するお礼を兼ねて日本各地を訪問する。東京、北九州、鹿児島、鈴鹿において講演を行う。特に東京では文京区森鷗外記念館の開館5周年の式典に参列する。
2018年 北九州市に招かれ、第8回マンホールサミットに登壇する。この日本滞在では、東京芸術大学において「鷗外と解剖」について、OAGドイツ東洋文化研究協会と北九州日独協会において「プロイセン警察大尉ヴィルヘルム・ヘーン」について講演する。また、早稲田大学において伊藤比呂美氏とともに講義を行う。その他に、福岡市や鈴鹿市で今後の研究のための資料を調査する。
2019年 日本森鷗外記念会の理事に任命される。
2020年2月17日〜 事務所を留守にいたします。
2020年5月31日 定年退職
蛙
文壇がトロヤの陣なら、わたくしもいつのまにかネストルの位置に押し進められた。其位置は久戀の地ではない。わたくしは蛙の兩棲生活を繼續することが今既に長きに過ぎた。歸りなむいざ。歸りなむいざ。氣みじかな青年の鐵椎の頭の上にうちおろされぬ間に。
己未の二月 森林太郎
留学以外の日本滞在
1990年 北九州市長の招待を受け吉野俊彦氏と共に北九州のファンドレイジング講演への道中、初めて津和野を訪問。井筒屋での鷗外展のオープニングを共同開催。
1992年 3月ベルリン・ミッテ地区長フォルクラート・クーン氏のもと、ミッテ地区の代表団による初めての津和野公式訪問。ベアーテ•ウェーバーは通訳者として同行。森鷗外の孫、森富氏の出席のもと、津和野市庁舎で市長による挨拶。相互の友好を結んでいく旨の合意書に同意し、サインする。
1995年 津和野森鷗外記念館会館式に出席
1998年 アサヒビール会長樋口氏の招待と個人的な寄付により東京訪問 (文京区森鷗外記念館、岩波ホール)、鎌倉、京都訪問。北九州訪問時、修復された鴎外の生家の見学、森真由美氏との講演会、末吉市長との会談
11,12月 明治大学客員教授。ドイツ文学科講義「ドイツ東西統一から10年 – 『東ドイツ教育を受けた市民』の視点から見た現在の言語使用に対する違和感と新造語」。他ベルリンの演劇と鷗外について等
鷗外小倉出立100周年記念に北九州で講演「鷗外のベルリン」小笠原・小倉での展示の協力のお礼に末吉北九州市長を訪問
津和野:安野光雅美術館、津和野森鷗外記念館
東京:歌舞伎「ぢいさんばあさん」公演、文京区森鷗外記念館、森家
鳴門のドイツ館訪問(旧坂東俘虜収容所)
徳島:佐野孝史氏と会談(ロバート・コッホの日本の家政婦「はな」についての調査)。
阿南市:藤井正人氏(ベルリン森鷗外記念館銅板の寄贈者)の遺族と面談、猫寺訪問
2009年 フンボルト大学からの派遣で日本へ。鎌倉にてロバート・コッホについての講演、東京・熊本・鹿児島にて記念館の活動について講演、伊藤比呂美氏とともに北九州で対談、熊本「文学隊」の会合に参加
2010年 小川眞里子氏の招待と学術振興会JSPSの奨学金を受け三重大学に研究滞在。『舞姫 — 文学と現実 — 』
及び、オシップ・シュービン別名アロイジア・キルシュナーについて講演, 伊勢訪問同滞在中に東京北里研究所にてリサーチ活動明治村訪問。山梨県韮崎大村美術館訪問芭蕉翁記念館訪問芭蕉翁記念館を訪れて
2011年 9月27日 順天堂大学医学部佐藤進メモリアルホールにてドイツの新聞記事を元に調査した講演「佐藤進留学始末」
2012年 東京大学「鷗外サミット」にて講演。加賀乙彦氏、平野啓一郎氏、文京区区長および津和野市長とともに参加
2017年 新しい常設展のために集まった寄付に対するお礼を兼ねて日本各地を訪問。東京、北九州、鹿児島、鈴鹿で講演。また、東京では森鷗外記念館開館5周年の記念式典に参列。
2018年 北九州市に招かれ、第8回マンホールサミットに登壇。同時に東京芸術大学では「鷗外と解剖学」について、オーアーゲー・ドイツ東洋文化研究教会と北九州日独協会では「プロイセン警察大尉ヴィルヘルム・ヘーン」について講演し、早稲田大学では伊藤比呂美氏とともに講義を行った。その他、福岡市や鈴鹿市においても資料調査を行う。
いずれの滞在においても日本の鷗外記念館関係者、森家および劇団関係者と会い、コンタクトを欠かさないようにしています。
ドイツ文学記念館文学協会(ALG)の年次会に参加。ライプチヒブックメッセにおいて鷗外スタンドにて森鷗外記念館のプレゼン
国内外での講演活動および海外出張
1993年 夏目漱石記念館視察。
1994年〜 日本人作家との対談及び朗読会:那珂太朗、高柳誠、平野啓一郎、平出隆、坂上洋、小川洋子、多和田葉子、辻仁成、森真由美、伊藤比呂美、坂手洋二、池澤夏樹、山崎朋子、中川モモコ、那須田淳、佐々木幸綱、加賀乙彦、三遊亭兼好、ドイツ人作家:ユルゲン・エバトフスキー、ウラディミール・カミーナー
2003年 フンボルト大学医学史研究所の第83回「医学史の午後(Medizinhistorischer Nachmittag)」にて講演
「米か麦か?東と西、医者であり作家であった鷗外(1862-1922)が探したジンテーゼとは?」(ドイツ語)
2004年 10月 KleveのVarnhagen-Gesellschaftシンポジウムにて講演「西洋色に染まった詩の世界 — ヨーロッパ文化の橋渡し役、言葉の創造主としての鷗外」(ドイツ語)
11月 北九州の市民会館で平出隆氏との対談
2005年 11 Dahlemer Vor-Lesung.中川モモコ: 「ベルリン あなたは私を思う/父・千田是也とわたし(ドイツ語版“Der japanische Vater“)」モデレーション.
2006年 11月4日 日本大使館にて講演。「鷗外のベルリン—いくつかの事実と多くの疑問」(ドイツ語)
2008年 8月3日、オアドルフにて「日本のキューピー人形」について講演
9月16日 森鷗外記念館にて講演。独日協会との共同開催「1908年、日本でのロバート・コッホ 二番目の妻ヘートヴィヒ夫人に焦点を当てて」
2009年 4月 米国ブランソン、ミズーリにおけるキューピエスタに参加。オルドルフ町の文化担当者マンフレッド・シュテンダー氏とともに『ベルリンにおけるキューピー展とその効果』及び、『オルドルフにおける人形制作の歴史』を英語で講演。
2010年 10月13日 順天堂大学およびシャリテ医学部の日独共催
シンポジウム世界健康サミット2010にて講演。“Prominent Japanese Students at Charité 1870-1914 (Satô Susumu)”(英語)
2011年 1月24〜26日 ドイツ歴史博物館にて開催された「日独交流150周年」会議に参加し、講演を行う「森鷗外(1862−1922)と日独文化の架け橋」
4月1日 グーベンにて講演。フリッツ・ルンプフの妻について「アリス・ヘラー(1888-1964)の一生 グーベンの布工場、女子校等中学校、ベルリンの芸術ボヘミアンとの間で」
5月 シュネプフェンタールのギムナジウムで、学生向けに鷗外について講演
7月15、16日 エアランゲンにてシンポジウム参加。講演「日本とドイツの認識における他人像・自己像パラダイム
(1861-2011)メディアに操られたイメージの投影としての森鷗外読者による観察」
9月7〜9日 アジア・パシフィック・ウィークにて講演。“Historical medical relationsship between Germany and Japan – influence on concepts of hygiene and health”
9月27日 順天堂大学・シャリテ医学部日独共催シンポジウム順天堂大学医学部・佐藤進メモリアルホール
ドイツの新聞記事を元に調査した講演「佐藤進留学始末」
12月9日 オルデンブルクの独日協会にて「舞姫」朗読および講演
2012年 5月23日 ベルリンの映画館「Arsenal」にて「舞姫」上演の挨拶
10月1日 東京大学「鷗外サミット」にて講演。加賀乙彦氏、平野啓一郎氏、文京区区長および津和野市長とともに参加
講演原稿については雑誌「文学」を参照
10月16日 ベルリン・エアクナーのゲルハルト・ハウプトマン博物館にて講演を行う。「森鷗外とゲルハルト・ハウプトマン」
10月26〜28日 テューリンゲンのオアドルフにてキューピー人形生誕100周年イベント参加
同年11月21日 ベルリン森鷗外記念館にて講演を行う。歌舞伎版、森鷗外「ぢいさんばあさん」
12月10日 フランス・エルザス地方のKientzheimにて、CEEJA・明治大学共催国際シンポジウム参加、歌舞伎版、森鷗外「ぢいさんばあさん」について発表
2013年 1月23日 ベルリン森鷗外記念館にてゲルハルト・ハウプトマン(1862-1945)の経歴について講演。
4月18日 ベルリン森鷗外記念館にて菅尾友氏と対談「iPadと携帯電話の時代の『フィガロ』とは?」同氏は2012年11月ニッセイシアターにて、モーツァルト「フィガロの結婚」の舞台監督を務めた
8月11日シェーネベルク地区聖マタイ教会の歴史的墓地散歩(DJG Berlin)
8月25日 ノイルッピン・ギャラリーにおけるレポレロ展示閉会式
2014年 3月13日 ベルリン森鷗外記念館 『美術解剖学の教師としての森鷗外展』閉会講演「学術と芸術の交差点 森鷗外」
6月12日 ゲーテ大学(フランクフルト・アム・マイン)日本学科『東日本大震災後の東北における演劇』
10月15日 ベルリン森鷗外記念館 設立30周年式典『30年 – 設立から壁崩壊まで』
11月7日 ゲルリッツ『東ドイツ時代の日本関係及び日本学科の活動』
その他、ベルリンの文化プロジェクト、博物館会報、ライス・エンゲルホルン博物館、ベルリン医学歴史博物館、日独協会、世界文化の家(歌舞伎ゲスト講演平成中村座2008年)、グラスペルレンハウス・ギャラリー、エルウィン・シュレーディンガー・センター、ベルリン王宮広場「ベルリンの775年 多様性の街」(2012年)等多くの文化施設と協力、プロジェクトに参加、また多数の会議に出席
受賞歴及び経歴
1996年 山本安英奨励賞受賞
2004年 JaDe-日独文化交流奨励賞受賞
2008年 森鷗外記念館の活動に対し日本外務大臣賞受賞
1997年以降 日本森鷗外協会評議員、2008年より理事
2007年以降 早稲田大学COF (Center of Exellence) 研究員
2008年 森鷗外記念館として外務大臣賞受賞
2010年以降 文学記念館文学協会の会計審査員
2011年 『イニシアチブグループ日本』国際演劇協会(BRD)のメンバー、東北大震災後、東北演劇人のためのドイツ演劇寄附金キャンペーン
2019年 森鴎外記念会(東京)において理事に任命される。
開講講座
1998/99 冬学期フンボルト大学音楽学研究所講義「『日本芸能体系』—–日本古典演劇概説」
同学日本学科・講義「映画で見る森鷗外とその作品」
1999年 11月明治大学文学部客員教授ベルリンにおける現代演劇の実情ドイツのメディア界で用いられる新しいドイツ語
2004年 11月早稲田大学COE (Center of Excellenz)にて『千田是也先生のドイツとの縁』誕生日百首年特別公演(文部省の招待)
2007年 シュネップフェンタール高校生のゼミ論文『日本のビジュアル系運動がドイツのJロックファンコミュニティーの芸術、人生観に与える影響』指導
2008年 9月講演会『1908年ロベルト・コッホ来日について』
2009年 ベルリンにて講演鷗外と未来派ふるさとグーベンと日本第24回ベルリンサマーコース『自由は責任の母』にて森鷗外とベルリン大学についてベルリン大学200周年と日本(学術振興会による会合。翌日ベルリン散策)
2009年 11月講演ツアー:鎌倉、東京、北九州、熊本、鹿児島
「ロベルト・コッホ博士と鎌倉」
「演劇・政治・ユーモア/ドイツのパフォーマンス集団
〈リミニ・プロトコル〉の最新の動向」
「外国で鷗外と出会う、その特殊性と意味」
「ドイツから見た鷗外」
「ベルリンの壁崩壊から20年のいま―独日文化交流を考える―」
2010年 1月三重大学にて講演
ドイツにおける鷗外研究
豊太郎のベルリン鷗外と忘れられた女性作家オシップ・シュービン、
本名アロイジア・キルシュナー
2010年 順天堂大学・シャリテ医学部日独共催シンポジウム
講演“Prominent Japanese Students at Charité 1870-1914 (Satô Susumu) ” (英語)
キュレーション活動
2013年までに記念館で50以上の特別展を企画運営。その一部は他の場所でも展示された。
1989年 ベルリン森鷗外記念館常設展 企画・制作
1993年 天皇皇后両陛下によるフンボルト大学訪問の際、本学舎に鷗外
コーナーを作成。両陛下の案内を務める
1994年 『森鷗外記念館の十年間:マリエン通りとその周辺 — 150年以上続くこの地の歴史 —』
1995年 企画展『文づかい 昨日と今日』
1999年 企画展『ゲーテを日本に紹介した先駆者としての森鷗外』
2001年 北九州市企画展『小倉での森鷗外』(ドイツ人向け展示作成)
2002〜03年 北九州市及び小笠原流協力企画展『日本における贈答』
2004年 企画展『千田是也 1904-1994』
2004/05年『鷗外という二文字』記念館の外壁に『鷗外』の書道を入れるための書道コンテスト開催。130以上の応募。森鷗外記念館開設20周年を記念して。
2006年 企画展『キューピー:世界で最も古い「キャラクター」』展示はオアドルフにて引き続き開催され、今日ではオアドルフ・エーレンシュタイン城の常設展の一部として残っている。
協力:ローズオニール インターナショナル
2007年 アネッテ・シュトロートマン写真展『日本のマンホールのデザイン』
この展示もまた後に巡回展示としてヴュルツブルク、ドュッセルドルフ等で展示され、ドイツ工科博物館、そしてベルリン市庁舎、東京都庁で展示される。
2008年6月 企画展『1908年ロベルト・コッホ来日100周年展』
展示は続いてロベルト・コッホ研究所によって引き継がれ(常陸宮親王が見学される)、これはまた、作家のユルゲン・エバートウスキが彼の作品“Die Stadt am Meer“中にて日本におけるロベルト・コッホを取り上げるきっかけにもなる。
2013 年 3月〜8月 企画展『森鷗外の観潮楼 – 住居、制作の場から記念館へ』
文の京地域文化インタープリター、文京区立森鴎外記念館、
ベルリン森鷗外記念館共同企画
2013-14年 2013年8月〜2014年3月企画展『美術解剖学講師としての森鷗外』
東京藝術大学、ベルリン森鷗外記念館共同企画
2016-2017年 森鷗外記念館の常設展の新装に向けて企画・準備・募金活動・実現。
2018年 プロイセンの警察大尉 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヘーン展