Mori-Ôgai-Gedenkstätte Berlin / ベルリン森鷗外記念館・ベアーテ・ヴォンデ

ベルリン便り

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2010年はベルリン大学、すなわち現在のフンボルト大学200周年で、併設されている大学病院シャリテは300周年を迎えます。双方とも、明治時代の日本のエリート留学生らの母校として知られています。
今年に入って最初の三ヶ月間、当記念館はとても平穏に過ぎていきました。ヴォンデ副館長は学術交流会JSPSの奨学金のお陰で、三重大学および北里研究所に2ヶ月間の研究滞在をすることができ、「ドイツにおける鴎外研究」「ベルリンの豊太郎」「ボヘミア系作家オシップ・シュービン」について講演を行いました(注:ご興味があれば、原稿もお送りいたします)。
1月14日には推理作家ユルゲン・エバトウスキーを招き、「ベルリン推理賞」の受賞作品「血液透析」の朗読会が行なわれました。作品内では透析をめぐる犯罪、陰謀が描かれ、主人公らはロバート・コッホのリサーチの際にベルリン森鴎外記念館も訪れます。著者は、作品の犯行現場となる鎌倉に長期滞在した経験があり、ロバート・コッホや森鴎外についても触れられています。20〜25年前、ドイツで森鴎外を知っている人はいませんでしたが、今日、ベルリン中心部の地図には必ず赤文字で記念館の位置が記されており、鴎外のポスターでは「ベルリンの作家」と紹介されています。今日、鴎外がドイツ文学にも登場するようになったのは、25年間の活動の効果と言えるかもしれません。
7月1日には、仙台大学の小松恵一教授により「森鴎外とカール・レーヴィット ナウマン闘争における注釈」の講演が行なわれます。また、7月末まで鴎外が愛した古典のひとつである百人一首の句を、学生達が書道作品にしたものが展示されています。
「2011年—ドイツにおける日本年」も少しずつ明るみに出てきており、これに平行して日本は翌年「ドイツ年」となります。1860年に日本とプロイセンが貿易協定にサインし、交流を始めてから150年になるこの年を契機に、学問・文化的な催し物が各所にて行なわれます。(日独交流150周年のサイトは以下でご覧になることが出来ます。http://www.de.emb-japan.go.jp/dj2011/)
ドイツ歴史博物館では2011年1月に明治時代の日独関係についてフィルム上映とシンポジウムの開催を計画しています。
ドイツにおける日本年を通して、メディアは少しずつ日本に注目し始めています。最近では、日本の制作会社が鴎外と長井長義に関する番組を作るため、スタッフが何度か下見に訪れました。記念館ではいずれロケも行なわれますが、番組内容には関与していません。
また、ベルリンのTV局RBBは、ラインハルト通り(鴎外の時代はカール通り)と、そのすぐ近くにある森鴎外記念館、周辺部について取り上げました。
鴎外の時代と変わらず、ベルリンは今でも巨大な工事現場ですが、この様子が変わることはしばらくないでしょう。去年はかつてのパラスト・デア・レプブリーク(共和国宮殿・東独の人民議会や美術館などが入居していた建物)が撤去され、ウンター・デン・リンデンからマリエン教会がよく見えるようになりました。跡地にはいずれベルリン城が建設され、フンボルト大学の様々なコレクションが展示される予定です。


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